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Takeshi Okada
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岡田武史 - Wikipedia
日本サッカー協会の特任理事として活動中、次期日本代表の日本人監督として名も挙がっていた中、2007年11月に日本代表のイビチャ・オシム監督が急性脳梗塞で緊急入院し、2008年2月のW杯予選で指揮を執ることが困難になり、小野剛日本サッカー協会技術委員長(当時)から後継監督として打診を受ける。代表監督就任にあたっては基本的に所属クラブで試合に出場しない選手は招集しないという考えを明言していたがスペイン移籍後にスタメン落ちしている中村俊輔に関しては例外的に対応する旨の発言、当初の方針にずれが見られる。国内組で臨んだ2010年東アジア選手権では4チーム中で3位、その後のセルビア代表(監督は代行監督、ワールドカップ予選に参加していた選手はベンチメンバー1名のみの、国内選抜チーム)戦では0-3で敗れ、同年4月26日にサポーターから日本サッカー協会へおよそ1000人による解任の署名が提出された。2010年4月7日、キリンチャレンジ杯でセルビア代表と対戦し0-3で破れた。以降同6月4日のコートジボワール代表戦まで4連敗を喫した。 国際Aマッチの4連敗の屈辱は12年ぶりである。ちなみに12年前の4連敗時も岡田武史が監督であった。なお、ワールドカップで通算成績が0勝3敗の監督が再度同じ国の代表監督をするのは史上初であり、ワールドカップでは4連敗監督はいないため、初戦で負けると記録として名を残すことになる。年俸は出場国32チーム中13位で、優勝候補のブラジル代表監督やアルゼンチン代表監督と同等である。
2010年東アジア選手権にて「当然ホームでやる東アジアは勝たないといけない。結果に対して責任を取らないといけない」と語っていたが、3位に終わった後の記者会見にて「責任を取るという事に関してはご自身がやめるということも含めてだと思うが?」との質問に、「契約上、勝とうが負けようが協会が権利を持っていて、そのために会長や、技術委員が見ていると思っている。」と返答しており、自ら責任を取るつもりが無いのに責任を取ると発言し、自分の言葉に責任を持てていないことが露見した。 この東アジア選手権にて、「岡チャン不合格 決断セヨ サッカー協会」という横断幕が掲げられた。その日の試合にかけつけた4万人のサポーターへ行った緊急アンケートでは、86%が監督の続投を否定していた。 2010年W杯メンバー発表にて、川口能活を怪我ながら選出したことについて質問を受け、「練習試合に出てる。ほぼ状態は戻ってる。」との返答をしたが、川口能活は発表日当日の練習試合を怪我で欠場している。また得点王の前田の代わりに、FWにはリーグ戦では、今季どころか、半年近くゴールを決めていない新潟FW矢野貴章を選出するなど、これも本来の決定力不足解消という目標とは、矛盾した選出である。

日本代表監督

by INZM | by inazumahiruzuzoku | 2010-06-13 21:03 | Sport | Trackback
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